兵庫県明石市在住
自称 怪しい町の発明家(今は製造も)
本名 中川 滋夫 
196×年4月生まれ

プロフィール

私立清和幼稚園卒園     頭にかぶる熊のお面を作る工作で、、どの方向から見られても、
                  見ている人と視線の合う眼球構造を思いついた。
                   しかしそれを見た先生に、その熊さんは、ずいぶん
                   奥目なのね〜。と言われた。グブブブ。。。 

大津市立晴嵐小学校入学  小3の時に電気分解で液中を何が動いているのか見たくて、
                   買ってもらったばかりの顕微鏡を塩水に浸けて見たけど、何も見えず
                   落胆してほったらかしていたところ、顕微鏡が錆びてしまって、大目玉を食らう。
     
所沢市立北小学校卒業   未だに信じられないけど、近くのゴミ捨て場のベニア板の下の土の中から、赤茶
                  色で表面に透明光沢があり、一端が水晶のように透明で結晶化している石を拾う。
                  それは、不思議なくらい驚くほど冷たく、ガラス窓を引っかくと簡単に傷が入った。
                  大人になって知識が増えると、熱伝導の良さから、あれはダイヤモンドの塊では無か
                  ったのか、、、と思っている。アルミホイルにくるんで戸棚に仕舞っておいたら、いつ
                  の間にか捨てられていた。(当時、戸棚の中は、拾ってきた石でいっぱいになってい
                  た。) なぜ、あんなベニア板をひっくり返したのかは、今でも思い出せない。

所沢市立向陽中学入学   天体望遠鏡を改造して、太陽の光を分光するスペクトロヘリオグラフを作った。
大津市立粟津中学卒業   なんだか、荒れた中学校だったなあ。
滋賀県立石山高校卒業    同じレベルの学力の人間が集まると、こうも面白くないものか、、、と堕落していく。
                  色々な価値観の人が混沌としていた状態から活力が生まれるんだな。。と今思う。
                   この頃から、記憶力が人よりも低く、苦労したけど、気がついたら卒業してた。

佐賀大学入学−中退     鳥人間コンテストに応募するが、落選。
                   テニスのやり過ぎで、2年で大学をクビになる。
                    この頃に、初めての特許出願をしました。

京都で探偵社に入社     大人に「社会の裏も知らないで…」とよく言われたので、
                   よーし裏の裏まで調べましょう、という動機。
                   あと探偵物語の工藤ちゃんに憧れてました。 

京都で探偵社開業      上司と仲間数人でチェーン店の探偵社から独立。
                  結構繁盛してたけど、根がまじめで責任感の強い
                  俺は?、この仕事に向いてないのでは、と悩む。
                  張り込みしながら、色んなアイデアを考えるのが
                  楽しみでした。

イデアリサーチ入社      社長が天才発明家で、これぞベンチャーという会社。
                  何の肩書き実績も無いのに、いきなり研究員になり、
                  アルミ超合金の開発とか、自動機械の設計とか任され
                  ました。何でもやればできるという信念を得る。

第一次独立期         自分の発明を色んな会社に紹介して、商品化をしても
                  らうことを趣旨に活動を開始。
                  最終的にアイデア提供をきっかけに、3社から
                  定期的な報酬を得られるようになり理想的な生活とな
                  った矢先、バブルの終焉で業績悪化し、契約終了。
                  昔とったキネヅカで、テニスコーチのバイトをしたり
                  測量の手伝いをしながら食いつなぐ。測量の棒を持ち
                  ながら色んなアイデアを考えるのが楽しみでした。

タイガー鞄社         鳥獣害防除機器の専門メーカーで、開発担当。
                  最初は、言われたものを作ってましたが、そのうちに
                  暴走を始め、こんなものが売れるのでは?と勝手に
                  色んなものを作り、社長達にあきれられながらも、
                  最後は「自分で売ってこい」と商品マネジメントもさせ
                  てもらい、初めて営業経験と経営の真似事をしました。

第二次独立期         自分の発明した商品を自分で作って自分で売ってし
                  まおうというスタンスで、活動を開始。
                  2002年3月より、第一弾の商品「ジャバマル」を販売開始。
                  2002年8月より、第二弾の商品「シェルポ」を発売開始。
                  2004年秋、第3弾ブックボックスを販売開始。
                  2007年秋、第4弾ジャバラックを販売開始。



 

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